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志半ばでこの世を去った戦友が力強く支えたからこそ


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ダイエーは、初優勝の1999年、主に裏方として複数の球団で土台を作り、志半ばでこの年の春に亡くなった根本陸夫の遺影を掲げて胴上げをしていた。

翌年は中継ぎとして頑張っていた藤井将雄の写真を掲げて胴上げ。

2連覇の数日後にこの世を去った。

昨年から末期がんであることが分かっており、王監督を含め一部の人間はその事実がわかっていた。

戦友や球団に尽くした功労者がシーズン半ばで亡くなった時のパワーはすごいのだと学生時代に強く思った。

1985年、阪神では御巣鷹山での日航機墜落事故で当時の球団社長が亡くなっている。

直後は連敗したが、社長のために優勝を目指そうと選手が奮起し、21年ぶりの優勝を果たした。

Wikipediaでは、優勝時のボールを社長の霊前にもっていった様子が書かれている。

 

横田慎太郎の奇跡のバックホーム。

それまで奇跡のバックホームといえば、松山商の選手が甲子園で見せたシーンが奇跡のバックホームとして語られていた。

今は横田慎太郎が二軍での引退試合で見せた奇跡のバックホームが有名である。

脳腫瘍は本当に恐ろしい病気であることは、野球ファンなら誰しもが分かっている。

炎のストッパーと呼ばれた津田恒美、横浜の優勝直前までチームを支えた盛田幸妃。

脳腫瘍そのものは良性で早期発見なら生存率は高いようだが、条件が悪いと厳しい。

自分より年下の選手が志半ばで引退、そして亡くなってしまうのは形容しがたいものがある。

セリーグは途中まで大混戦だったが、阪神が一気に抜け出した。

そして優勝まで最後まで勝ち続けたのも本当に立派なことである。

横田慎太郎の同期や先輩後輩がまだまだたくさん阪神に入る。

そして、首脳陣にも横田慎太郎を見守っていた人たちは多い。

阪神の18年ぶりの優勝はもちろんだが、個人的には38年ぶりの日本一も望んでいる。

おそらくポストシーズンもあっさりと勝つだろう。

相手が広島だろうが、巨人だろうが、もちろん横浜でも。

選手たちは頑張った。

その選手たちを力強く支えたのは間違いなく横田慎太郎なのだろう。

これを書いている時はまだマジック1なのだが、先に書いておきたかった。

仲間の無念を胸に秘め、必死に頑張る、これはAIには絶対にわからない。

人間だからこそのドラマである。


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