自分自身、人の上に立つとか、マウントを取りたいとかそういう気持ちがほとんどない。
お好きにどうぞという感じなのでよくマウントを取られるが、こんな人間のマウントを取ろうとする時点で程度が知れている。
誰でも登れる山、もはや丘とでもいうべきところに登り、登山に成功したぞ!とドヤ顔をされたら誰しも変人に思うだろう。
マウントを取るというのは、そんなもんである。
いちいちちょっとした丘に登るたびに、登山に成功したぞ!とアピールしてるのは色々疲れるしリスクがある。
家族も心配するし、同僚がそんな人だと遠ざけたくなるだろう。
何かしらの得やメリットがあるならば自分もやろうかと思うが、コスパも悪く得がない。
そんなものにリソースを割く余裕もなければ、興味関心もない。
だから、マウントを取るだけの余裕が有り余っているのだろうと感じる。
上から目線どうこうに対しても同じことを思う。
結局上から目線どうこうを気にする人は自分自身が相手を見下しているからそう思う。
虫ケラごときが、我のようなスーパー貴族に盾突くな!刃向かうな!と言いたいのだろう。
相手を見下している人間は、意見されると、盾突く、刃向かう、突っかかるなどのフレーズを使う。
「俺の方が人生のステージが上で、お前のような虫ケラは最下層も最下層、だからしゃしゃり出るな」という態度・考えを持つから、上から目線どうこうを気にする。
そんなお前はどんな大層な人間なのかという話だが、総じてしょうもない人間が多い。
自分自身でステータスを高めれば、勝手に上に上がるのだから、上から目線なんぞ気にならなくなるはずだ。
結局自力で上に上がる気がないから、上から目線を気にするようになる。
上から目線を気にする時点で、何かしらの病に取りつかれていると言ってもいい。
他人を見下す気持ちは自分自身が大したステージに立てていないことを自覚しているから芽生える。
そう思うと、マウントを取る、上から目線を気にする、他人を見下すのは百害あって一利なしと言える。
その態度で得られるものなんぞ1つもない。
むしろ得られるものがあるのならばぜひとも知りたい。
コスパよく得られるのであればぜひとも取り入れてみたいものだ。