自分が小学生の時に広末涼子が国民的なアイドル、タレント、女優として超大人気になった。
今の令和では考えられない売れ方、熱狂ぶりである。
女優としてもドラマで引っ張りだこ、映画も名作にいくつも出ており、大女優と扱われても何ら不思議ではない。
ただ、お騒がせ女優としても大女優的なものがあった。
リュック・ベッソンが脚本を務め、ジャン・レノと広末涼子が主演を務めたWASABIという映画があった。
映画の中身は忘れたが、一番記憶に残っているのは記者会見で広末涼子が泣き、ジャン・レノが慰めた場面である。
人気絶頂の中、海外ではフラットに扱われるところが新鮮だったようで、日本に戻ってきてうわぁと思ってしまった部分があったのだろう。
20代前半の時期、広末涼子にとって「思春期の男の子みたいな状態が遅く来たなっていう実感」があったそうで、この時期に色んなことがあった。
2001年には広末涼子の奇行が報道され、プッツン女優と言われるハメに。
伊勢谷友介や金子賢など、どちらかといえばオラオラ系っぽい人と付き合う中で最初の結婚を果たすが、これもまた若干オラオラっぽい感じ。
その後、離婚し、キャンドル・ジュンと結婚する。
広末涼子のストライクゾーン、広いのか狭いのか、いまいち分からないが、そんなことは大きなお世話で。
90年代後半の絶頂を考えると2000年代は一気に落ち着き、評価も下がる中で女優として「おくりびと」で世界的に評価されて復活した。
キャンドル・ジュンとの関係性もこの時はいいように思われ、1人の子育てをする女性としてのキャラが確立されたが、それでも2014年には佐藤健との不倫疑惑など、ざわっとした部分は残っていた。
そして、今回の不倫報道。
広末涼子は90年代の絶頂期に「いい子」扱いされるのが心底嫌だったようだが、21世紀に入ってからの広末涼子を見れば、その荒れっぷりは規格外に見える。
一時期わざと太って人気が落ちるのを待つなど、令和の女優たちにできるだろうか。
干されることを願ってわざと太るというのは、裏を返せばある種の自信の表れである。
普通は干されたらおしまいと思って、自己研鑽に励むわけだが、広末涼子はその域にいない。
今回の週刊文春の報道で、鳥羽周作シェフに対する手紙が暴露されたが、広末涼子だからこそ成立する手紙である。
まず男性が書いた時点で、うわぁ気持ち悪い!と言われ、ほとんどの女性が書けば、重い!どこにそんな自信持てんの?となる中、広末涼子だと賞賛こそないが、形容しがたい気持ちにはなる。
10代でもそんなストレートに書けないだろという言葉を40代の広末涼子は堂々と書ける。
パワーも必要だし、エネルギーも欠かせない。
広末涼子には有り余るパワーとアグレッシブさ、タフネスさがあり、それをコントロールするのは大変だったのかもしれない。
結婚せず、恋多き女性として人生を謳歌していればよかった人なんだろう。
競馬で大活躍する牝馬を具現化したら広末涼子になるんじゃないかとすら思えてきた。
広末涼子はまた復活するはずである。
印象が最悪になったという人もそりゃいるだろうが、この人すごいなと呆れつつも畏敬に近い気持ちを持った人もそれなりにいるはずだ。
もちろん鳥羽周作シェフの奥さんやキャンドル・ジュン、子供たちからしたらこんな不愉快なことはないし、一生許さないだろう。
しかし、世間はそんな配慮をすぐに忘れる。
むしろいつまでも不倫だの何だののイメージに引っ張られている方が見識を疑われる。
自分自身がこの手のスキャンダルを一生覚えており、いつまでも指摘するので、自嘲した見方であるが。
今は広末涼子の一世一代の大ボケにツッコミを入れてあげないといけない。
ボケにツッコミを入れないなんて重罪である。
人生で人は数えきれない小ボケと数度ある大ボケを絶対にやる。
その小ボケと大ボケにツッコミを入れることは、ボケをかました人を助けることになるし、ある種礼儀だと思っている。
間が空かないうちに色んなツッコミを入れてあげてほしい。
せっかくの大ボケが台無しである。
もし台無しにしたいのであれば、何も言わないことでボケを封殺できる。