学校は社畜を育てる場所、そう思うと、社畜を育てる仕組みは相当整っている。
校則を守らせるのもそうだが、従順な子供が評価されるのも納得だ。
学生時代に自由に過ごしていた人ほど、卒業後も自由に過ごしている。
自分は社畜を拒絶するように、学校も教師も嫌いだったので、結果的にちゃんぽらんになってしまった。
日本の社会、日本の幸せは社畜が幸せに生きられるように作られている。
体育会系で社畜の基礎を叩きこんで、会社に入って応用編で頑張る。
だから、社畜として育てることは何も悪いことではない。
社畜になれば人生の勝ち組にはなれる。
そして、権力争いを趣味にすれば、年収4ケタ、タワマン暮らしへ一直線だろう。
これは皮肉ではなく、本心でそう思っている。
自分にはそんな趣味はないし、その趣味は作っておくべきだったかと思った。
社畜に多様性はいらないし、選択肢も邪魔になる。
社畜は他人のことを構う余裕もないし、むしろ他人の不幸が楽しくて仕方ない。
社畜は自分さえ良ければいい。
社畜は自由にしている人間が嫌いだ。
でも、いいのではないだろうか、年収4ケタも狙えるのだから。
「インボイス制度のことなんぞ負け犬の遠吠えでしょ」ぐらいの認識しかないんだろうし。
ふるさと納税フル活用でもいいのではないだろうか。
レールは踏み外すものではない、乗れるところまでとことん乗るべきだろう。
ただ乗ってる距離が長ければ長いほど、外した時が怖い。
早々に外れた自分は気楽なものだ。
死ぬまでレールに乗り続ける、これは神業の領域である。
社畜もどこかでレールを外れる。
そのことだけは意識しておいて損はないのではないだろうか。