違和感の解剖図:勝負事とエンタメの不都合な真実

競馬、ボート、Mリーグからテレビ批評まで。世間に漂う「建前」を剥ぎ取り、その裏に潜む違和感の正体をロジカルに解剖する。単なる感想を超えた、不都合な真実の記録。


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フジテレビの記者会見で悪目立ちしたジャーナリストたちに思うこと


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月9で本来なら「119エマージェンシー」が放送される時間帯、フジテレビの記者会見がテレビでも流された。

テレビ史に残る出来事だと個人的には思った。

長時間の記者会見自体はあるだろうが、テレビにこれだけ流されることは後にも先にもないだろう。

NHKですらここまでのことはできないはずである。

それを可能にしたのはACだらけの現状と、「ここで外すと日枝久すら危ないぞ」という社内の空気があったのかもしれない。

そうでなければ、ジャニーズの時のように時間をある程度区切る手もあったわけだ。

119エマージェンシーコールが放送されていたはずのまさにその時、会見ではフリージャーナリストの横田増生が大立ち回りを演じていた。

その前に、途中で遠藤龍之介副会長からの発言が撤回され、そのことを追求した。

ここがこの記者会見の象徴的な場面だったと言える。

何も答えられない、答えようがない側と答えさせようと強く迫る側、一方で、迫る側もお行儀よくやりたい人もいれば、アピールに余念がない人もいる、一億総センシティブ社会を理解して振舞う人もいる。

何が多様性だろうか、ちゃんちゃらおかしいじゃねぇかと強く思った。

多様性は異なる意見を認めて尊重しないと成立しない。

俺のはいいんだ、お前のはダメだでは、単に上に立ちたい人のそれである。

自分の存在を認めてほしいなら、その前に他人の存在を尊重し認める必要がある。

そういう観点で見ると、異種格闘技戦でも見させられている印象を受けた。

 

ちなみに横田増生というジャーナリストは、まだAmazonが一般的ではない時に潜入し、その実態を紹介している。

離婚をして名前を変えてでも潜入するスタイルは、なかなかマネできない。

ユニクロにも潜入取材を行っているが、こういうスタイルの取材はなかなかできるものではない。

ゆえに、今回の会見に来てたことに驚き、ああいうことになり、悪目立ちしたのは残念というよりも、それくらいの気迫でないと務まらないんだろうなと感じた次第だ。

横田増生に限らず、何かを徹底して追いかける人は攻撃性が強い傾向にある。

それはお行儀よくやっていたら、屈してしまうからだ。

さまざまな問題を追いかけたり、戦ったりしている人のツイートは、総じて攻撃性が強い。

そうでないと聞いてもらえない。

よく、大声で話さないで!頭に入ってこない!みたいな人がいるが、そういう人は小声で話しても頭に入ってこない人だ。

正義感もあって攻撃性が強くなる人は、ああいう記者会見には向かない。

そして、世間はそういう人物を煙たがる。

学生運動の時も、きっとこんな感じでノンポリが増えていったのではないだろうか。

デモに対して嘲笑・冷笑系が出てくるのもそういったところか。

今起きていることはまさにそんなところか。

ただ、見ている人の快不快に合わせて受け答えをする意味はどこにあるのかとは思う。

 

よく、週刊文春が権力を持ち過ぎていると批判的に見る人がいる。

それは大きな間違いで、権力を持たせるようなことを許しているのが悪い。

そもそも公益通報や内部告発が正しく機能していれば、週刊文春の出番はない。

公益通報などが蔑ろにされているから、週刊文春に持込むしかないだけのことだ。

だから、権力を持ち過ぎていると感じるなら、「公益通報や内部告発が正しく機能できるようにしろよ」と声を挙げた方がいい。

そうすれば、わざわざ内部告発という手を使わずに済む。

週刊誌のスクープは、新聞で書けないものを記者が横流しして書いているケースもある。

世の中から週刊誌がなくなればいいと考える人もいるようだが、じゃあYouTuberに好き勝手やられてもいいのかという話だ。

10代や20代が言うならいざ知らず、年齢を重ねてから言い出すと、本当に厄介だ。

これからの時代、いびつでバランスに欠いた環境の中、誰からの助けも借りてはいけない時代になっていくだろう。

内部通報や公益通報に、裏切り者というレッテルを貼る人も目立つ。

そんな状況では、申し訳ないが、週刊文春をはじめ、記者会見で悪目立ちするジャーナリストなどはニーズがあり続けるだろう。

誰も言ってくれないことを言ってくれるから存在価値がある。

ただそれだけのことだ。


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