久々に衝撃を受けたニュースだった。
長らくコンビでテレビに出ていた、りゅうちぇるとぺこ。
正直そのイメージがまだ強く、「離婚」を発表して一気に女性化したりゅうちぇるには多少の違和感があった。
それだけコンビで出ていて、色んな番組で見かけた際の姿が強く残っているからなんだが、子どもはどういう心境になるものなのかと不思議に思ったこともある。
Twitterで今回の自殺のニュースを検索すると、とても自殺をした人に投げかける言葉ではないツイートが多く見受けられた。
一番は奥さんであるぺこ、前日に誕生日を迎えた子どもに対する同情、もう1つはりゅうちぇるに対する辛辣な言葉。
これらの言葉は文春オンラインの記事でも出てくる、昨年9月の離婚報道の感想と共通している。
確かにりゅうちぇるとぺこの関係性、結婚に至るまでのストーリーはキラキラしたものであった。
筋書きでもあるんじゃないかと思うような展開、純潔なイメージ、それが人気につながったことは確かである。
それが一気に崩れ、その原因がりゅうちぇるにあったと多くの人が判断し、昨年9月から今に至るまでりゅうちぇる批判が根強くあった。
記事の中には、りゅうちぇるの告白を裏切りと感じた人が少なくなかったのではないかという分析もあり、そういうことなのかもしれない。
日本では「死んだ人を悪く言わない」という、暗黙の了解的なものがある。
誰かに教わるものではなく、マナー的なものとして感じ取っている人も多い。
これが今回の自殺の一件で、ひろゆきのツイートではないが、結構崩れているのかもしれないと思った。
コロナ禍では芸能人が相次いで自殺し、多くの人がその死を悲しんだ。
少なくとも「死んだ人を悪く言わない」というのは守られていた。
検索していただければわかるが、自分勝手が過ぎるというツイートが散見された。
遺された家族があまりにも可哀相という気持ちがそうさせるのだろう。
それは今回の件に限ったことではないのだが、やはり離婚時のショックがそうさせるのか。
まだ離婚報道から1年も経っておらず、女性化が進んで戸惑いがまだ見られていた。
あまりにも急な展開すぎて、形容しがたい気持ちを持つ人が若者を中心に多いのかもしれない。
この時既にりゅうちぇるは無理をしていたのかもしれないが、インタビューを読む限りはしっかりとした大人である。
何がそのような行為に走らせたのか、自分にはわからない。
インタビューを色々読んでいけばいくほど、なぜという気持ちが強くなる。
そして、死んだ人を悪く言わないという常識はもはや常識ではなくなるかもしれないことも覚悟しなければならない。
死んでも言われ続ける、それもまた地獄だ。