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24時間テレビ「愛は地球を救うのか?」は今までの全否定にならないのか


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hochi.news

日本テレビはメンツ・金・視聴率を大事にする傾向にあるが、歴史あるものでも、巨人戦の中継が数字にならないと判断すれば簡単に切ることができる。

しかし、金になる・視聴率になると判断すれば、たとえリスクがあっても簡単には折れない。

24時間テレビがこの状況においても続くのは驚くことではなく、必然だったと言える。

もしも24時間テレビが本当にオワコンだったら、色んな理由をつけて撤退したはずである。

今回は、45年間使い続けた「愛は地球を救う」から「愛は地球を救うのか?」にテーマを変えてまで24時間テレビを続けることにした。

「愛は地球を救うのか?」は、1978年当時のマスコミや視聴者などが思った疑問だろう。

2024年、チャリティ番組を行う側が言うセリフなんだろうか。

最近日本テレビに入社した若い社員が、24時間テレビの大切さを訴える中堅以上の社員に「愛は地球を救うのか?」と言ったのならまだしも、おそらく本当に言ったら干されるはずである。

ちなみに24時間テレビより先に長時間のチャリティ番組が始まっていて、それがニッポン放送の「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」である。

「目の不自由な方へ音の出る信号機を!」がテーマだが、あり得ないことではあるが万が一「本当に必要?」みたいなことを当人たちが言い出したとすれば、大炎上するだろう。

今まではなんだったのかということになるのが普通である。

 

note.com

今回の24時間テレビにおいて、第1回に立ち戻るのであれば、自分はそれでよかったと思う。

競争だけでは弱い人たちが取り残されるというメッセージも出せばよかった。

しかし、45年以上の時を経ると、弱者救済というフレーズが絵空事に感じる人たちが増えてしまっている。

特に就職氷河期、ロストジェネレーションの世代は、たぶん上記の前口上を読んでも、共感はさほどしないだろう。

「だったら、あんたら俺たちに何をしてくれたんだよ!」となるはずである。

「あんたらは年金でのほほんと暮らすかもしれないが、俺たちは今を生きるのも大変なんだ!」と反発される可能性もあるだろう。

1978年あたりは多少緩やかになったとはいえ、世の中が急速に成長し、急速な動きについていけなかった人が多くいたであろう時代である。

さほど頑張らなくても流れに乗れば食えた時代ともいえる。

こぼれ落ちた人をいかにすくい上げるか、そこがポイントだったと言える。

ところが、今は自分で努力して上に行こうとした人だけが成長できる時代である。

この時代において、弱者となっているのは努力をしなかった、できなかったなどの人たち。

おそらく努力して上に行った人からすれば、すくい上げるという発想はないように思う。

「それはあなたの努力不足でしょ?甘えんなよ!」と言いたいはずである。

甘えるな!という言葉には、「俺だって甘えたいよ!」というニュアンスが含まれている。

この状況下において、チャリティ番組は絵空事にしか思われない。

震災など天変地異でどうしようもない悲劇に遭った人への募金はしても、生活に困窮している人は対象外になりやすい。

「そんなもんは自己責任でしょ!」という声に、どのように答えていくのか。

 

www.j-cast.comチャリティは慈愛や慈善がベースと成り立っているが、じゃあ慈愛とは何か。

お茶碗に米粒を残すことに賛否があること自体、自分は驚いたというか、なぜ残すのがいけないのかを一応両親から教わっている。

米という漢字は八十八という漢字で成り立ち、八十八回の手間がかかってうんぬんみたいな説明も学校などで受けた。

そもそも食事マナーは、鎌倉時代に飢餓などが多くあった際に道元が作り出した赴粥飯法がルーツになっている。

いざ触れてみると、「今でもよく聞くわぁ」というのが結構ある。

慈悲や慈愛などはこうしたものの積み重ねによって育まれると思う。

今の時代、こうした話は宗教じみた話として敬遠されやすい。

とある保育園で、水槽に入っている生きたエビを子供たちに見せて、生きていることを示した上でエビの体をポキンと折って食べてもらうことをしているようだ。

エビは新鮮なので当然おいしいが、少し前まで生きていたものを殺して食うというのは子供からすれば衝撃である。

しかし、食事とはそういうものであり、日々の出来事と言える。

これを子供たちに体験し、命をいただくという感覚を養わせるのは食育としてそこまで悪いとは思わない。

宗教じみてるだの、洗脳っぽいだの、思う人は思うだろう。

でも、こういうものの積み重ねをしないと慈悲や慈愛という発想は出てこない。

 

「愛は地球を救うのか?」の前に「愛=金なのか?」がある。

そして、「金は地球を救うのか?」という問いもある。

そもそも「愛」とは何なのか。

愛情の裏返し、愛のムチなど、暴力行為の正当化においても愛が用いられる。

言葉遊びの意味合いで愛とは何かを問いたいわけではない。

相手を大切に思う気持ちを一方だけ持っていれば愛は成立するのか。

相手を大切に思う気持ちを相手が理解しなかったら、単なるお前の自慰行為ではないのか。

そこまで自問自答しないと、愛とは何かとか、地球を救うのかとか、そこまで届かない。

そして、世間はそこまで興味がなく、暇人のやることに過ぎないと感じている。

少し調べればわかることを、忙しくて調べられない、調べられるのは暇人の所業ぐらいに思う人は意外に多い。

この状況でチャリティ番組をやったところで、たぶん世間には響かない。

だったら、「税金対策になるんで募金しましょう」と呼びかけた方がいい。

「金は地球を救うのか?」に関しては、そりゃ救うだろう。

24時間テレビのアンチテーゼで、「金は地球を救うのか?」を題材にパロディをする番組が出てきたら見てみたい。

萩本欽一がまだ元気なのだから、「欽ちゃん、愛は地球を救えるの?」とちびっ子に聞かせればいい。

「なんでそ~んな考えになるの!」と返してくれるはずである。


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