2025年最後のレース、ファイナルステークス。私はグローリーリンクを軸に据えていたが、結果は「同着」。ガミもいいところの結末に、私は判定の「中身」を考え込まずにいられなかった。
スリット写真を見れば、ハナ面がピタリと揃った正真正銘の同着。だが、過去の事例を紐解けば、判定の根拠がいかに「スリットの場所」という運に左右されているかが浮き彫りになる。
例えば2026年の中山金杯。カラマティアノスとアンゴラブラックの差は、拡大してようやく判別できる数センチの差だった。これが判別できたのは、ハナ面が「スリット(8センチ刻みの赤い線)」の近くにあったからだ。1996年のスプリンターズSにおけるフラワーパークの1センチ差も同様である。
一方で、2010年のオークス(サンテミリオンとアパパネ)のように、ハナ面がスリットの真ん中に来てしまうと、途端に判別は困難を極める。この「スリットとの距離」次第で、2センチの差が決着になったり、同着になったりする。これが果たして「公正競馬」と呼べるのだろうか。
かつて門別競馬の北海道2歳優駿では、判定写真を誤認して着順を間違えるという痛恨のミスも起きた。騎手の位置や馬の毛色といった先入観が、人間の肉眼を狂わせたのだ。
ここで陸上競技と比較してみる。陸上では0.001秒差まで判別できるカメラが常識だ。競馬において1馬身(約2.4m)を0.2秒と換算すれば、0.001秒の差はわずか1.2センチに相当する。現状、日本のタイム発表は0.1秒単位だが、他国のように0.01秒、あるいは判定用に0.001秒単位まで計測を導入すれば、疑念の多くは払拭されるはずだ。
1.2センチの差を「同じ」と切り捨てるのか、それともテクノロジーで暴き出すのか。JRAが公式タイムとして出さずとも、馬券を買う側としては、判定プロセスにその客観的な数値が介在することを強く望みたい。
「三笘の1ミリ」が世界を震撼させたように、スポーツの勝敗は極限の細部に宿る。数億円、数十億円の負託を受けた競馬が、最後の最後で「肉眼頼み」のグレーゾーンを残しているのは、あまりに前時代的ではないか。
技術は加速的に進化している。スリットの位置に一喜一憂するのではなく、絶対的な数値による決着。それこそが、ファンへの最低限の誠実さではないかと思うのだ。