松本人志は週刊誌で何かを書かれたら、必ずネタにしないと気が済まない性質を持つ。
場合によっては裁判を起こし、勝訴をしたケースもある。
今回の件も、事実無根として裁判を起こした以上、どういうことはあれ、何かしらの白黒はつけると自分自身は思っていた。
仮に一審で敗れても、和解なんか無視して三審まで勝負に出るくらいの意地を見せると思っていたが、まさかの訴え取り下げ。
和解だったら、まず文春側が和解したことを伝えるはずである。
訴えの取り下げは、そもそもそんな訴えは存在しなかったという扱いになる。
一応再訴は可能ではあるが、女性への謝罪に応じるという話もある様子。
事実無根だけど謝る、なかなか折り合いがつかない話である。
そもそもマスコミの報道に抗ってきた松本人志が、勝ち負けをはっきりさせずに幕引きを図った理由が見えない。
仮に一部でも勝訴していれば、俺は勝てた!と言えるし、周りの人も言い張れる。
その「一部」は文春のちょっとした瑕疵が原因によるものだったとして、たとえ本丸で極めて微妙な結果になろうとも、「不当判決だが一部勝訴!」と言える。
それすらも捨てたのは、何かきっかけがあったのだろう。
仮に、「訴えを取り下げた=そういう事実があった」というのがミスリードだとするのであれば、どういう筋立てがあるのかを聞いてみたい。
芸能活動を再開させたい思いが訴えの取り下げにつながったのは明らかだが、周囲の芸人たちにとってはある種面倒な状況と言える。
仮に、松本人志が再度同じ事象を巻き起こしたとしたら、取り返しがつかない。
いち早く復帰を祝ったオズワルド伊藤やさまぁ~ず三村など、一連の言動がピックアップされ、見識を疑われるだろう。
今でもネット上では叩かれ始めているが、現状静観している人たちも仮にその状況になれば、黙っていない。
M-1グランプリの審査員として復帰するために訴えを取り下げた、そんな説もあるようだが、スポンサー共々道連れで突っ込んでいくようなものだろう。
ただでさえ何を言われるかわからない中、再度同じようなことをやったら、企業イメージは相当落ちる。
ちょっとしたネット広告で、表現が不適切なだけで配信中止を決断する企業が多い中、そんな賭けには出られないのが普通である。
さすがの松本人志もそんなことは百も承知だろう。
吉本興業だって、行政との仕事を多くする中、そんなムチャは認めないはず。
例えば、ドキュメンタルやフリーズなど、Amazon系で新作を打ち出し、世界で配信するという仕事から始めていくのではないだろうか。
そのために始動を急いだのであれば、まだ納得がいく。
島田紳助はああいう辞め方をしても、テレビへの復帰を求められている。
島田紳助は決して地上波には出ないが、知り合いのYouTubeなどには出る。
松本人志も同じようなスタンスで仕事をしていけば、ファンの方が納得のいく活動はできるように思う。
好きな人だけアクセスできる場所で活動する形がいいのではないだろうか。
功績は功績として語られるべきで、やったことはやったことで批判されるべき。
すべてを否定しようとするのも、すべてを肯定しようとするのも変である。
YouTubeでいきなりチャンネルを立ち上げて、江頭2:50路線を歩んでもいいと思う。
江頭2:50が松本人志に一言物申すような展開は、きっと多くの人にみてもらえる。
そこが精一杯の落としどころではないだろうか。
もはやテレビが最上位の時代ではないわけだから。