自分は学力的にも大したことはなく、もちろん人間としても欠陥だらけだと思っている。
痛い目を見ないと変われない。
高血圧、糖尿病と高い数値を突き付けられてようやくダイエットなどに励むようになった。
2か月ぐらい経過するが、この間、間食は全くしておらず、寝酒なども一切していない。
すると、体重は2か月で8キロ以上落ちた。
薬こそ飲んでいるが、正常値に収まり、今度血液検査が待っている。
あれだけダイエットに意味を見出せていなかったのに、今では太りたくないと思っている自分がいる。
太ることにメリットがない、太ることに意味がない。
でも、自分にとって歴史を覆す大発見であっても、世間一般からすれば当たり前のことである。
世間一般からすれば当たり前のことが、当事者には全く分かっていない。
これを歴史を覆す大発見にするには、痛い目に遭うしかないのである。
大いに傷つき、大いに重傷を負い、身の危険を感じなければ人は変われない。
いや、瀕死の重傷を負ってでも変わらない人もいる。
本当に賢い人は、痛い目に遭うことなく改善ができる人である。
そして、愚かな人間は痛い目に遭っても変わろうとしない人間である。
だから、痛い目に遭っても変われるというのは普通なのだ。
普通で何が悪い、普通を貫くのも大変なことだ。
スキャンダルに巻き込まれた芸能人も、報道をきっかけに変わればいい。
この観点さえ持っていれば、広末涼子のスキャンダルも、今後の変化を期待しながら見守れるのではないだろうか。
思えば広末涼子はまだ40代前半なのだ。
子どもも手がかからないようになって、もう一丁!という気持ちになるのも無理はないかもしれない。
鳥羽シェフが監修したミニストップのタレ弁、また復活しないだろうか。