競馬とボート、パチンコパチスロをダラダラやる男のブログ

競馬やボート、パチンコパチスロの話題を中心に、賭け方をよりスマートにしながら、試行錯誤を繰り広げているブログです。


スポンサーリンク

流行語大賞は今も昔も毛嫌いされていたかもしれない


スポンサーリンク

流行語大賞のニュースを見て、あんな言葉知らない、流行ってないと言いたがりの人が必ず出てくる。

お笑い芸人のギャグが出てくれば、そんなくだらないものは知らないと、さも自分は「堅物一直線でございます」みたいな態度を示して否定する。

かといって、ニュースでよく出る言葉が出ると、そんな言葉知らなーいと、さも自分は「特別な人間でございます!私=常識でございます!」という態度を示して否定する。

流行語大賞そのものを否定する人間は、基本的にコスパの悪いマウントをとって、悦に浸るやつである。

そう強く思うのは、流行語大賞に選ばれた言葉に否定的な態度をとる人間につまらない人間が多いからだ。

オールドメディアだなんだと言われるが、結局は自分の気持ちに寄り添わないメディアに不快感を示したいだけだ。

要は、猛烈に自慰行為したいのに適したオカズがないだけ。

だから、オールドメディアでも、エクスタシーを得られるネタが出されたら、オールドメディアであっても盛大に絶賛するはずである。

マスゴミの派生形がオールドメディアと思うと、それを言えちゃう人間のお里が知れるのではないだろうか。

これとは別に考えたいのは、第1回の流行語大賞から、実はそんな会話がなされていたのではないかという仮説である。

1984年にスタートしたが、新語と流行語で部門が分けられていた。

第1回の新語と流行語を並べてみる

新語→オシンドローム、鈴虫発言、スキゾ・パラノ・特殊浴場

流行語→〇金・〇ビ、くれない族、疑惑、千円パック、す・ご・い・で・す・ネッ、教官!

www.jiyu.co.jp

なんとなくの感覚だが、そんなの知らなーい!と言われてそうなラインナップである。

2024年も裏金裏金と言われ続けたように、1984年は倫理倫理と呼ばれ、まるで鈴虫のようだという当時の中曾根康弘首相の言葉から「鈴虫発言」というワードが出てきた。

ちなみに、「疑惑」で賞を得たのは週刊文春なので、1984年から登場人物やバックボーンが変わっていないように思う。

ロス疑惑というものが当時あり、週刊文春がそのキャンペーンを張ったことに端を発する。

ロス疑惑もロス疑惑で、今だったらオールドメディア呼ばわりで報道への批判がされてた題材のように思う。

立花孝志が三浦和義を引っ張り出して参院選の比例候補で出したかもしれない。

〇金・〇ビは、職業をピックアップし、金持ちと貧乏人に分けて解説する際に用いられた言葉。

例えば、野球選手であれば、何億ももらう野球選手とバイトしない食っていけない独立リーグの選手を、〇金・〇ビで分けるようなものだ。

わかりやすいが、今やったらどえらい叩かれ方をしそうだ。

いまだかつて聞いたこともなければ、どんな時に使うの?という言葉は、スキゾ・パラノだろう。

いずれも精神医学に関連する言葉だそうで、

スキゾはスキゾフレニア、統合失調症を指し、パラノはパラノイア、偏執狂を意味する。

スキゾは色んな事に興味を持つ、パラノは1つのことにこだわるみたいな意味。

まぁ言ってることはわからんではないが、当時そんなに話題になってたかは微妙である。

例えば、す・ご・い・で・す・ネッは、所ジョージのモノマネをする際に、一定の年齢より上の人がフレーズとして出す。

それは本当に浸透していたから出てくるわけで。

スキゾ・パラノは本当に聞かない。

本当の死語ではないかと思うくらい。

新語・流行語大賞を対象にした「死語大賞」があったら間違いなく大賞だろう。

 

一方で第2回の新語で「パフォーマンス」が出てきており、確かにこれは浸透している。

同じく第2回の新語の「分衆」は、言葉自体死んでいるが、その言葉が持つ、価値観の多様化・個性化・分散化を示し、大衆ではなく分衆ができたという考えは、今に通じる。

ちなみに表現賞という部門に「キャバクラ」があり、これはしっかりと今も生きている。

「ネバカ」は、舞い上がっている女子高生たちを根っからのバカを略した言葉。

今だったらぺんぺん草が生えないレベルの炎上をしそうである。

 

こういう振り返りをした上で、色んな切り口で流行語大賞を斬ってほしい。

まぁ40年も変わってないんだから、そりゃ変わらんだろ。

オワコンだ!と言われるが、40年間大して変わってないことをどう思うのよという議論をせい

新語・流行語大賞は世相や大衆の変化・変質を言葉を通じてしみじみと感じるためにある。

流行ってる・流行ってないだけで見ることがそもそもつまらない。

1年ごとに振り返ってみると、今につながるものや変化が面白いものも目立つ。

スキゾ・パラノは聞かないが、言わんとすることは理解できる。

日本人の変化の変遷を知るという意味では貴重な賞である。

そう思うと「ふてほど」は、これまでの趣旨にマッチした言葉ではないだろうか。

何事にも不適切と言われ続ける時代に対する痛烈なメッセージ。

こうやって線で見ていくと、新語・流行語大賞は面白い。

だから、オールドメディアも来年あたりに出てくるのではないだろうか。


スポンサーリンク